医療ミスと医師の羞恥心 :ミスを認めない構造

医師は自分の関わった医療ミスを認めようとしない――というのが医療業界全体の傾向らしい。医療が不完全な医学というサイエンスをベースに成り立っている上に、不完全な人間が医師である以上、ミスは一定率で誰もが侵す。だけど・・・・医師がミスを認めて謝罪しないのは、プライドや評判を守るという保身の気持ちより、別の感情の爆発が原因だと言う。それは「恥ずかしさ」―― 医療ミスと医師の羞恥心 の関係にあるのだと。

医療ミスと医師の羞恥心

医師がミスを認めない and 謝らない傾向

医師がミスを起こしたときやるべきことは、そのミスった行為の対象者である患者に謝罪すること。たとえ、そのミスによって患者が重大な被害を被らなかったとしても、ミスの事実を患者は知る権利がある。

だけど、医師は謝るという行為が出来ない傾向にあることで知られている・・・。謝罪を躊躇する、いや拒絶する心は、医療過誤で訴えられることへの恐怖よりも強い生理的な感情なのだ。

NYの内科医であり、現NY大学医学部准教授であるダニエル・オフリは著書「What Doctors Feel」(邦題:『医師の感情 「平静の心」がゆれるとき』)の中で、上記のように語っている。医師が謝罪することに難色を示す傾向は日本だけでなく、世界共通ということだ。

医療ミスを認めない理由はいくつか挙げられていて、

・医師の道に進むような人がエリートで完璧主義者傾向にあること

・一般人の多くに、医師は名医orヤブの二択でジャッジされてしまう事への恐怖

・反射的に羞恥心が罪の意識に勝ってしまう事

などがそれにあたる。

また、たとえ医師がミスをミスだと理解していた場合にも、こういった「とっさの負の感情」が先だって「ミスを認めずに終わらせよう」としてしまう事が多いのだと。

ミスを認めない根源にある 医師の羞恥心

ダニエル・オフリによると、医療ミスで謝罪をしない根本的な要因は「羞恥心」が爆発するからなのだという。

ミスを起こしたことを自覚したり、指摘されたりすると ミスをした=自分はできない=自分はダメだという思考が成立してしまう。I made a mistake ではなく、 I am a mistakeと認識してしまう。

ここで正しく「失敗をしたから、失敗を謝罪しなくては。だけど、自分の存在が失敗なわけではない。」と理解できると、ミスを認めることも、患者に謝罪することも容易にでき、自己否定をする(または無理やり自己肯定する)ルートに陥ることはない。結局、ミスを伝えることで、医師本人にとってもベストな心理的作用をもたらすのだ。

だけど、「ミスが悪い(罪)のであり、私の存在は悪くもない(自分の存在は失敗ではないし罪でもない)」という考え方は、酷いミスをしてしまった時ほど難しくなってしまう。

これは医師だけの話ではない。誰もが経験があると思うが、仕事や学問において当然知っているべき事(または知っていると自負していたこと)を間違って回答をしてしまったことに気づいたり、大勢の前で誰かから指摘されたりしたら「穴があったら入りたい」「消えてしまいたい」「死にたい」という気持ちになる。

本当に死にたいと思っているわけではないが、耐えられない程に恥さらしな自分を消してしまいたい気持ちでいっぱいになる。自分はプロの医師だと、専門家だと周りや患者に言ってきたのに、自分が宣言してきたand思っていたような立派な人間じゃなかったのか・・・?自尊心がボロボロに崩れる瞬間なのだ。

自分を消してしまいたい・・・という気持ちは、「ミスが起きた出来事については触れない」という行動になって現れる。

もちろん、こういった行動は客観的に見れば「利己的」でしかないのだけれど・・・。医師が他の職と同レベルのミスをしでかした時の代償は、ほかの職業よりも重いのかもしれない。

医師はミスを認めればヤブ扱い

ダニエル・オーフリが言うには、一般的に医師には完璧さが求められていて、完璧=名医じゃなければヤブなのだと判断される文化があるという。だからこそ、医師はミスを認めてしまえば「ヤブ」のレッテルを貼られる事になると思っている。

(わたし個人から見れば、ミスを認めない医師のほうがヤブってレッテルを一般の患者からは貼られると思う。ミスを認めさえしなければヤブと思わないのは、医師先生さまさまと盲目的にその言葉を信じるご老人だけなのではないかな~。今は結構ネットを使って必死で調べる人が多くなっているので。)

ミスが痛くもかゆくもない職種と比較するとシビア

人事や転職コンサル、派遣の営業担当など、あり得ないミスやコンプラ違反を日々やっても評価に影響しない職種があることを考えると、医師はかなり損なのかもしれない。

人事系の仕事なら、その仕事の影響を受ける従業員や転職キャンディデートがミスのしりぬぐい(我慢)をすれば良い。コストのロスが発生しない。(だからこそミスが多いし、改善の兆しもないのか・・・)
エンジニアなら、製品の生産に入ってからミスが判明したら結構な損額を発生させることになる。コストが発生する。だから組織の中でヒューマンエラー対策など品質管理体制もしっかりしかれる。エラーを起こしても会社組織が払うお金と謝罪で済む事が大半だろう。
中にはエアバッグのリコール事件のように、命に関わることもある・・・。とはいっても、大きなプロジェクトが一人のミスでなんかなるわけではなく、組織としての問題に焦点があたり、個人が攻撃を受けることは少ないだろう。

医師の場合は・・・医療のミス=ヒューマンエラーは必ず起こる。ミスの対象は人体。一人が発生させるミスが命に係わる。そして命や健康はお金を払っても戻ってこないものだ。

医療ミスは「組織」ではなく「個人」が責められる

医療ミスの被害をダイレクトに受けた患者や患者の家族は、そのミスの発生どころである医師個人を責めるだろう・・・。ヤブ医者と呼ばれるリスクというのは、そういう時の患者感情の矛先のことを指しているのかもしれない――――。

医師のミスも結局は所属する組織内で起こるものであり、責任は組織全体にかかるものと認識されるのが正しいだろうに。だから本来は病院であり、その運営チーム全体、そして経営陣が全体でミスの罪を受け止めるべきなのである。

医療ミスの謝罪は 医師にも病院にもメリットがある

医療ミスを認めるデメリットは、医師単体で評判が下がる、病院全体での評判が下がる・・というリスクがある。が、リスクというのは単純に可能性だ。逆に、ミスを認めることは医師個人にとっても、病院組織にとっても実質的&確実なメリットがある建設的な行為なのだ。

医療ミスへの対応は 病院の環境や運営の改善チャンス

ミスは知識不足や知識の不適切な適用などの個人の責任範囲だけではなく、疲労の蓄積など組織としての管理体制に問題があって誘発されるケースも多いであろう。

医療ミスをミスだと認識することで、その事態がどうやったら防げたのかを考え、対策を打つきっかけになる。

システムの対策

単純ミスを防ぐならばチェックリストを導入する、似たような見た目の薬を用意しない、上司のスーパーヴァイザー制度を義務付けるなどのシンプルな対応ができる。

もっと複雑な診断に関わるクレームであっても、診断に至るプロセスや医師x患者のコミュニケーション・アプローチでミスや誤解を避けるために上記のようなシンプル・ステップを組み込んでいれば、患者にとってトラブルとなるような要素の成長は防ぐことができると思う。

また患者側から発生する不安や不満を吸い上げて、診断や治療に反映するためのシステムを整えることもできる。

例えば、手術の前にリスクをきちんと説明したら誰も手術を受けたがらないから、リスクはさらっと説明する。けれど、それが後々に患者の不満となって現れることもある・・・というケースなら、命に関わるリスクではない場合は「こういう症状が出たら、こう対応する」というような対応体制が整っていることを実例と共に示して、信頼関係を構築しておくなど良いかな~と。手間=コストでやらないんでしょうが・・・。

教育対策

医師がヒューマンエラーや判断の失敗をおかしたら、自己防衛か恥の中に閉じこもるかの両極端に突っ走らないように組織として対策することができる。柔軟な精神面を鍛えるトレーニングもできるし、ミスが起こった場合はオープンに話す用に促すスーパーヴァイザーの教育をすることもできる。

良い医師というのは、完璧な医師ではなく、質の良い医師であるという認識を、治療する側とされる側の両方に定着するよう働きかけていく活動などもできる。いまはネットなどの発信ツールがあるので、病院に訪れている患者に対面でアプローチするほかにもSNS個人アカウントや病院のブログなどで、啓蒙活動もやろうと思えばできる。

医師がミスのトラウマにはまらない

ミスは認めないけど、自分の中で何となく罪悪感がある、または罪悪感を感じないために否定を繰り返す・・・・というようなことをやっていると、余計にネガティブダメージを引きずってしまう。それは何年も消えないことも珍しくないのだという。

what doctors feel の著者ダニエル・オーフリは、自身が侵した医療ミスを(指摘された後)長らく何年も自分の中で抱えたまま、ミスを指摘した医師としばらくぶりに再開した際にも、ミスのエピソードについては触れられなかったという。触れようか触れまいか迷った挙句。・・・語られざるわだかまりは人生にわたって長居するのだ。

そこを病院としてミスが起こった時対策として、医師への精神的な指導やケア、周りの対応指導、ミスは認めて患者にコミュニケートするシステムが整っていれば、医師自身の負担軽減になるのではないか。よって、ミスはあったらorあったかもと思ったら率直に話した方がいいのだ。(と、今までに患者に指摘されて切れたことのある医師には考え直してほしい)

医療ミスと医師の羞恥心 の悪循環を断ち切るには

所属する組織環境、医師個人の感情コントロール両方からのアプローチが必要なのだ。一番いいのは、医療で失敗やミスが起こらないことだけれど、人間の体が不健康にならない・劣化しない・死なないようにならない限り無理なのだから。

また医師に恥の精神が強いのは、単純に医師になる人選の問題もあるといわれている。医学部を目指す学生は、成績が優秀、ゆえに完璧主義であったり、デキルという事を大事にする性格であったり、一番であるということに価値を見出してきた生徒が多い。

そういった価値観が、いわゆる将来的に「プライドが高くてミスなんて認めない」と受け取られる医師を作ってしまう現状でもあるのだと・・・。

医師にもダイバーシティを!というと・・・学費の安い公立の医学部がもっと必要な気がする。

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この記事を書いた人

Macaron

海外進出における営業や展示会出展サポート、英語の通訳・翻訳、イタリア語の通訳、ビジネス英会話講師。分からないことを丸投げしたい個人や小規模事業者におススメ。神奈川と石垣島の2拠点で活動。