リーマンショック時代の転職 ・就職活動

私が2度目のイタリア留学を終えて日本に帰国したのは2008年の年末のこと。それは丁度、2008年9月に起こったリーマンショックの直後だった。最悪な時期に滞在許可が切れて帰国と重なってしまった。このことで、 リーマンショック時代の転職 ・就職活動 を強いられることになったのだから・・・・。

リーマンショック時代の転職 ・就職活動

リーマンショックが起こった2008年の9月。それまでアホみたいに上がり続けていたユーロが一気に下がった。

2007年から2008年当時、ユーロは140円から150円台へ、そして160円台へと為替レートが上がっていた。FXを齧っている人々は「200円を超える、今が買い時だ」とよく言っていた。が、リーマンショックと共に160円台を順調に上っていたユーロも急落した。

私はユーロが史上最も高い損な時期にイタリア留学で散財していたことになる。そのことも痛手だったが、何よりも痛かったのが帰国した後のリーマンショック渦中での就職活動。

2009年の1月から中途採用を探し始め、就職できたのはその年の7月。しかも、全く持って「自分の条件で選ぶ」という要素は無く、「採用してくれる企業ならどこでも行く」という100パーセント買い手市場要素で終始した就職活動であった。

リーマンショック時代の転職 ・就職活動 の特徴

7か月間の間、ゆるりと就職活動したわけではない。とにかく積極的にあらゆる企業の案件を受けまくった。しかも案件がないのに面接に呼ばれたところも受けた。どういうことかというと・・・・

空きポジションが無いのに面接に呼ぶ企業 行く求職者

買い手市場ということは、買い手=「企業」はモンスター購入者になるということと似ている。要するに、求職者の時間や労力を身勝手な理由で無償提供させて当然という考えを元に人事活動を行うのである。

リーマンショック時代に多くの企業はリストラを行い、事業拡大などで新規に雇い入れることはほとんどない状況だった。当然、中途採用の案件はレア、超少なくなる。募集ポジションも直ぐに埋まる or 無理難題を押し付け誰も決まらないブラックなポジションが求人市場に残る。

そんな中で、企業側は誰も取る気がないのに取り合えす求職者を面接に呼ぶという行為を日常茶飯事に行っていた。

私がこの就職活動中に行った会社で5社くらいそんなんだった。面白そうだから会いたい。面接に速攻呼ぶ。けど、うちは今募集していないんだよねという事実を告げないで。今現在2018年にそんなことやる企業が居たら、面接官に水ぶっかけて帰るけどな。

今思えば、リーマンショック時に会社に残って面接官をやるような立場だった人は軒並み何も考えてないキャベツヘッドな方々が多かったのだ。自主退職やリストラの対象外だったそこそこ上のポジションの人は暇していたのかもしれない。少なくとも、案件がないのに私を面接に呼んだ子会社社長やら専務やらの人らはボーっとした方々でらっしゃった。

とりあえず、当時は求職者はとにかく理不尽なことも全て諦めて受け入れるしかなった。少なくとも、そう思わされてた。さんざん関係ない話を聞かれて、聞かされて帰った面接は多々あった。脱力感は半端なかった。

こんなにも仕事探しに苦心している中、企業に残ってお給料もらっている人たちの思考は空っぽ・・・これを痛感する面接から得られる虚無感。

面接日時は企業都合に100%合わせる

面接調整なんて求職者の都合は関係なかった。

面接日時の選択肢はたった1つ。1日だけ。企業から日にちも時間も指定されて、それに行けない事情があれば「柔軟性がない」「意欲がない」と落とされていた。

今でも、そういう企業はたくさんあるだろう。書類選考の結果は忘れたころにやってきたのに、書類通過の連絡時に「明日の○○時」と指定して、それ以外だと無理という所。ただ、そういう案件の方が少ない。

今ではたいていの企業は融通が利く。オンリーワンチョイスで数日間の幅で調整も交渉できない行き当たりばったり案件は、そのポジションが非常に低くて誰でも応募できるか、使い捨てポジションか、または会社の管理体制がカオスかのどちらかなので、求職者から断ってしまってもダメージは無い。

もちろん、転職の際はfirst come, first served。早くいい人が居れば、選考はとっとと進むので、優先度の高い用事がないなら相手に合わせて最短の面接日にした方が良い。

 

リーマンショック時代に転職した後に待っていたもの

リーマン時代であったものの、7カ月の転職活動で無事中途採用になった。ただし、今のポジティブな流動的な転職市場と違って、世間はリストラがメインの活動だった時期。

転職後もポジティブ空気は一切なかった。

リストラした人数分の仕事を引き受ける新入り

私の入社した会社はその時期、30%の社員リストラを断行していた。残った70%の社員に業務が再分配されるものかと思いきや、減った従業員分の仕事は「自分以外の誰か」がやればと誰もが思っていた。

最悪なのは、部下なきマネージャーばかりが会社に残ってしまったことだった。自分の仕事は絶対増やしたくない。だって僕マネージャーだもん。という様子の。

自然と、あふれた多くの仕事のしわ寄せは新入りの中途社員の前に詰まれた。結果、パソコンを自宅に持ち帰り、作業を終えたら深夜2時。そんな日々が続いた。

また、大量リストラがされてる最中、新規雇用で入ってくる社員に対して、元からいた社員の視点は厳しいものが多かった。「こんなに大変なのに、新しく人を雇う余裕があるなんて・・・」というぶつける先の無い不満が新入りに向けられていた。

引継ぎを全力で拒否するリストラ社員

普通の社会人ならあり得ないと思うのだが、リストラ対象でやめることとなっていたその社員は引継ぎを涙で拒否した。

何も事情を知らない新入りの私は、引継ぎを受けてくるよう言われ、とある女性社員のところへ行った。すると、突然その女性は声を上げて泣き出し、今は引継ぎできる状況ではないという。

結局、1カ月間同じような状況が続き、その女性は引継ぎをすることなくリストラ解雇で退職した。

給与が契約より少ない

とどめは計画的な契約不履行だった。給与が契約書の額面より少ない。

契約書を作る時点で、オファー内容にばっちり記載した年収を払うつもりもなかったのだが、別に言わなくていいと思ったらしい。最初から払うつもりのない額を記載して、オファーレターを作成していたのだ・・・。

はれのひみたいな小さな会社、ベンチャーなどならわかるのだが、この計画的な契約詐欺を行ったのは一応アメリカではジョントラボルタ主演の映画 シビル・アクション A Civil Action において環境汚染で被害をもたらす大企業として名指しで出てくる規模の企業。

まぁ、環境汚染で訴えられるようなスタンスを今も貫き通すという一貫したネガティブさが売りの会社なのかもしれないが・・・。

リーマンショック時代の転職活動で得たもの

今でも思い出すとリーマンショック時代の転職活動も、また転職先の企業で勤めた期間も私の人生では最も暗い影を落としている。

唯一の利点といえば、イタリアに戻る決意と準備ができたという事。カオスでずる賢い国だけど、芸術や食べ物で感性豊かな人生を体験させてくれたイタリアで大学院にいくため、高校・大学時代の成績証明の翻訳に着手した。

結局、リーマンショック時期に転職した後の生活ぶりで、一気に体に支障を来たしていた私。ドクターストップを振り切って勤め続けた結果、顔中が慢性的に炎症を起こして痛々しいし実際に痛い生活になっている状況だった。医師も環境を変えることを勧められ、2011年には改めてイタリアにもどった。

体調を崩す前の調子にまでは戻らないものの、イタリア滞在中の4年間に徐々に肌の炎症も改善していった。

「転職は幸せ探しのカギ」というようなことを誰かが言っていた。それは不況であっても、好景気の今であっても変わらないことなのだと思う。いつ何時も、転職活動に妥協は無用。自分が納得できる環境に出会うまでとことん突き詰めて進めるべきなのだ。

 

 

 

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この記事を書いた人

Macaron

イタリア語・英語の通訳、翻訳などをしているトライリンガル。しかし仕事をしてるより放浪してる方が多い。