死を直視すると人生のプライオリティ は変わる

死を直視するとは、実際に死に直面する、死ぬ直前まで行ったというケースだけでなく、死を「そう遠くない現実に起こる終わり」と自覚してシミュレーションしてみることも含まれると思う。死が近い将来現実に起こること、そして死ぬまでに体がダメになって行くことが身近な距離感にくる= 死を直視すると人生のプライオリティ って一変する。これまで大事だったものが、ウソみたいにどうでもよくなるし、小さなどうでもよいと思えることを大事にするようになる。

死を直視すると人生のプライオリティ

上皮内腺癌の診断後、上皮内じゃなくてそれ以上進んだ腺癌がある場合について調べた事で、また円錐切除の所見で「酷かった」コメントを速攻で受けた事で、日々考えるようになったのが「死ぬこと」について。

予後が悪いと言われている腺癌。5年生存率は高くても、実際には5年を経過するちょっと前に再発して10年以内に死みたいなケースのほうが多い。再発したら完治の確率が低くなる。転移する可能性が高くなる。初期I期などでも再発・転移した人が居る。

こういう内容を読んで、自分にも当てはめてみた。もし、3年後くらいに元気じゃなくなったら・・・色々出来ないことが増えたら・・・。

10年や20年のスパンでだけで生き方について考えても仕方ない。今、現在の毎日を満足感もって暮らすために必要なことで環境を固めるのが先決。

こういう想定は「もし飛行機が落ちたら」や「もし宝くじが当たったら」というような、あり得ない系の非現実的な仮定条件と捉え方が違う。

本当に人生がもうちょいで終わるかも。今の生活のまま死に切れるか?わたし!

そう感じると、色々いままで大事だと思ってたものなんて、何の価値もないんだと気づいた。

 

全く大事じゃないと気づいたもの~ 死を直視すると人生のプライオリティ から外れるもの

世の中の基準や他人からの評価

他人に認めてもらおうという気持ちがなくなった。自分の人生を知らない誰かの評価とか何の価値も無いし、他人基準の評価のために努力する意味も分からなくなった。

一般的に評価の高い人生とかどうでもいい。

真の意味で他人からどう思われるか気にしなくなった。キャリアを追い求めることの価値も一気に消えた。大事なのは、今の自分が出来ることで自分がハッピーになれる行動をより多くおこなうことだ。

誰かと比較しないという事は、誰かと自分を比べて「自分のほうがまだマシな状況だ」とか他人をアンカーポイントに使って満足感を得ようともしないという事。

他人と張り合う事で得るモチベーション

またライバルや張り合う相手を作ることで、モチベーションづくりなんて言うのも必要ない。

やりたい事は、今すぐやる。やりたくないなら、これからもやらない。

やらなきゃいけないけど、頑張れないなんてものが無くなった。頑張れないものは、そもそも大事じゃないんだ。

今死んだら、それをしなかったことを悔しいと思えるような事かどうかで考えるようになった。これがモチベーションになり、悔しいと思うだろうことは、やっておこうと思って日々過ごすようになった。

刺激を得るための相手、競争相手は特に要らない。

何かを手に入れることや達成感への欲求

将来の目標、ビジネス面での夢が無いとダメだと言ってる人たちを見て、阿保らしさを覚える。夢を追いかけるより、毎日の中のルーティーンで、日々している事の何かに楽しさを感じる方が、充実感はずっと高いのだ。

昔、満足したら終わりだと言われていた。けれど、実際は、毎日に満足感を覚える生活のほうが幸せだ。今ない何かを追い求め続けること、何かを得たいと思う事、何かを達成して満足したいと思う事・・・これらは毎日を楽しくするものではない。こうなったら・・・と想像しているときは、楽しいかもしれないが、実際に生きている毎日毎日で幸福感が高いとは思えない。

少なくとも、私にとってそういう生き方が意味ないものになった。

人生の目標はと訊かれたら、毎日を健やかに過ごす事と答える。大事なのは来なくなるかもしれない未来じゃなくて、今と今の一歩先である明日だ。

 

理不尽につらいと感じる経験なんて積まなくていい

どんな経験でも無駄にならないというけれど、実際は無駄どころか単に害になる経験が多い。

無駄なストレスを耐える努力も、環境を動かそうとする努力も、心身を壊す原因になる。ストレスマネジメントはストレスのソースが自分自身にあるときだけ、立ち向かってやるべき。周りにあるんだったら、そんな周りさっさと捨てた方がいい。

体壊したら、人生が無駄になるんだよ。

人生は一度しかない上に、時間は限られているんだ。どんな経験でも・・・の経験なんてしてる暇も身体の余裕もないんだよ。

今が大事 ~死を直視することでプライオリティが上がるもの

1日1日をいかに楽しんで生きるか。

いかに小さなことの繰り返しで沢山喜びを感じるか。

結局、将来だって「今」の積み重ねなのだ。生きること自体が、本来は瞬間の積み重ね。今を好きなこと、喜びを感じられることに出来るだけつぎ込んで生きられないなら、来ないかもしれない将来もきっと楽しめないものになっているだろう。

ハッピーエンドなストーリーを作ることが幸せなのだと人間は頭で定義してしまうらしい。これはダニエル・カーネマンが著書thinking fast and slowの中で、ピークエンドの法則と呼んでいるもの。

「たとえ楽しい旅行でも、帰りの飛行機で嫌なことがあったら旅全体が台無しになる」というような経験に代表されるように、人は経験していることの長さに比重を置くのでなく、順序に比重を置く。楽しい時間が長くても、最後の一瞬に嫌なことがあって、それがエンディングになると、エンディングが全体像の評価や印象になってしまう。逆に終わり良ければ総てよし。

だから、人間である以上、どう頑張っても将来を、最後どうなるかを中心に据えて考えてしまうのだろう。でも、死を自分の人生のタイムラインにしっかりと意識するようになってからは、そのハッピーエンドに価値を見出す考え方が自分の中で薄くなった。

私の目的は、毎日に少しずつ楽しくできることを増やしていくこと。毎日少しずつ楽しい・美味しいと思う事を積み重ねよう。そうしたら、どんな終わりでも、生まれてきてラッキーだったと思えるんじゃないか。

人生のプライオリティは死との距離感で変化する

寿命がこれから100年あるのか、50年あるのか、10年なのか、5年なのか、健康に生きられるのはそのうち何年か。

その大体の予想図によって、やりたいことや将来の計画などボヤっとではあるが見立てて、それを基に仕事や生活のプライオリティを据えている。だから自分の持っている時間(余命)に変更があれば、その生きる計画=大事にしたい事=プライオリティも変化する。

寿命の長さだけではないけれど、人生ではいろいろな環境の変化によって人生計画の修正を要される場面が出てくる。

私は・・・どんな変化があっても、命が少なくなった時にも自分が絶対譲れないと思っているプライオリティを、元気な時もうまくいっている時もトッププライオリティにもって来よう。

子宮頸がん診断からのジェットコースターに目まぐるしい変化を経験してから、そう思うようになった。

社会的に求められるものでもなく、誰かに影響を受けたことでもなく、自分で大事にしたいと思うものを、毎日の生活どの日でも大事にして生きる。

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この記事を書いた人

Macaron

イタリア語・英語の通訳、翻訳などをしているトライリンガル。しかし仕事をしてるより放浪してる方が多い。